人の想いと、手の温もりが織り成す美しいシルエット。職人達の確かな知識と豊富な経験によってそれは、芸術の域にまで昇華します。
判を押したように一様な顔を示す工業製品からは、決して味わうことの出来ない感動がそこにはあります。ただ、あまりにも圧倒的な量で工業製品が浸透してしまっているが故に、我々の感性が麻痺してしまっている気がいたします。
「誰がどう使おうが服は服」。そんな、感性に対する無関心があるのではないでしょうか。
私はこのいわゆる「世知辛い世の中」にあって、今後の世界にはこの感動を認める感性、美意識、審美眼が必要不可欠ではないかと強く強く感じております。
かつて、「暗黒」と呼ばれた中世にかわって芸術の花開いた「ルネッサンス」という文化的革命。その先駆けとなったイタリアから、再度暗闇に向かおうとする世界へ向けて、失いかけた人間味の回復、「ひと」が織り成す芸術とその文化の重要性を訴えたいのです。
私はこれを「ネオ・ルネッサンス」と呼びます。
日本においては、ご承知のように以前から後継者難が表面化しております。さらに近年の不況も手伝ってか後継者の確保は茨の道なのではないでしょうか。日本の紳士服業界が衰退してしまった原因として、私は作りという要素があるのではないかと考えております。日本の服作りはイギリスの流れを汲むものですから、ミシンの多用が目立ちます。さらにスタイルの面として、着物のベースにイギリス的な四角いイメージが載せられたこともあり、非常に平面的な堅い洋服の顔になってしまいました。そういった面でも日本の洋装文化というのはまだ根付いていないのでしょう。当時の主流とは対極的な「アルマーニ」から「クラシコイタリア」にいたるイタリア的ソフトな顔が紹介されるや、流れの向きが変わってしまったのです。。
このように辛酸をなめてきた日本ではありますが、針仕事の正確さに見られる、日本人気質というものは特筆に価します。これは間違いなく世界に誇れるもので、これを捨て去ってしまうことは、貴重な文化の放棄であると考えます。生真面目で非常に細かな作業も得意とする日本人は、今後の縫製業界のリーダーシップを担うべき存在ではないでしょうか。
作り方もスタイルも外を見て憧れる時代は終わりました。イタリア人が放棄してしまった文化を、日本人が継承しこれから大切に育んでいけばいいのです。そうすれば、大量生産・大量消費で「快適さ」と引き換えに「感性」を失いつつあった日本ですが、近い将来、日本人の特徴を活かした素晴らしいモノづくりの文化を築き上げられると確信しております。
私は約30年前、イギリスはSavile Rowでの修行を終えさらなる修行の場をローマに求めました。ミシンを多用したイギリスの縫いは、私の求めるものとは違っていたからです。そこでローマのカラチェニの門を叩き、イタリア特有の甘く優しい針使いの習得に励んだのです。今となっては「伝説」と化している名サルト達がまだ現役で針を押していた時代でした。多くのことを学ぶ機会があり、またライバルも多く、刺激的な時代でした。
しかし、時は流れ、イタリアの現状はどうでしょうか。雇用制度上の問題も手伝って、若いサルトがほとんど育っていません。老齢化が進み、イタリアらしい手仕事は風前の灯です。実際の仕事が看板の重みに応え切れていないようなサルトリアも少なくありません。
かつては手工業の最後の楽園だったはずが・・・。
では、この10年余りクラシコイタリアを模範としてきた日本ではどうなのでしょうか。
船橋 幸彦